浜往来(街道) 旧新湊市港町(三ヶ新)〜富山市四方 (旧)新湊市港町(三ヶ新) 富山市四方(神通川左岸河口) 走行日 2006年11月24日 曇り(風強、チト寒し) 車種 ユーラシア ランドナー 富山県歴史の道調査報告書を参考に走りました。 資料見て走ったつもりですが、間違った所があるかも……汗 |
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←は、射水郡村々組分絵図の新湊〜富山市四方付近です。因みに上が南です。(画像クリックで大画像。) コースは、(旧)新湊市港町(三ヶ新)→放生津八幡宮→万葉線越の潟駅→(フェリー)→堀岡→海老江→足洗潟→富山市四方→神通川左岸河口 浜往来(街道)は、基本的に海岸線に平行に沿って進んでます。が、火災・新道への付け替え・波の浸食等により当時の面影が無い場所が多いです。 (旧)新湊市の放生津は、一時ですが日本の政治の中心地になった所です。だから?と言われたら悩む… w |
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(旧)新湊市港町(三ヶ新)からスタート。(地図) 道標には「越後出羽道」と刻んである。 |
道標のup画像です。(画像クリックで説明板です。) |
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街道を東に進みます。 |
途中、漁民義人塚に立ち寄りますた。(地図 多分w) まるで水戸黄門の話みたい。。。(画像クリックで説明板です。) |
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内川に架かる湊橋を渡ります。(地図) (画像クリックで説明板です。) |
湊橋を渡った後の風景です。ずずいと街道を東に進みます。 |
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放生津八幡宮に出ます。(地図) (画像クリックで説明板です。) |
八幡宮内には、芭蕉の句碑があります。(画像クリックで説明板です。) |
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八幡宮サイドの細い道を通り、現道路である八幡町交差点に出ます。(地図) |
暫く進むと、海王丸パークの交差点手前に庚申塚があります。(地図) 塚の碑の横には周辺から集められたお地蔵様が並べてあります。何故か六番というシールが貼られてあります… |
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海王丸パークの交差点を過ぎると、浜街道らしい風景が待ってます。 |
ここにもお地蔵様が祀られてありました。ここのには三番のシールが… |
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富山新港左岸の公園(釣り堀?)に出ます。放生津潟が新港として開港されたので、当時の面影は一つも在りません。(地図) |
公園の横には、御堂があり、一番シールが貼ってありますた。 |
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御堂の横には、富山新港開港の碑が建ってます。 |
でっ、越の潟のフェリーで対岸に移動。。。(移動) |
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対岸に移動し、ここから出発。(地図) |
裏を見ると、陸続き時代の遺構?があります。 |
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東に少し進み、分岐を左です。(地図) |
良い感じ道です。(地図) |
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途中に、庚申塚がありました。(地図、多分。) |
少し進むと、忠魂碑があります。(地図) ここからのトレースが自信が無い… |
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海岸から一番近いのが浜往来!!!を信じて進みます。 |
まぁ、適当に進みまする。w |
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ヘロヘロ進むと、8%の看板が!!! 海岸から少ししか離れてないのに??? (地図) |
8%のダウンヒルを堪能し?、R415の射北中学校手前に出ます。(地図) (画像クリックで振り向いて撮った画像です。) ここからしばし、R415沿いを走ります。 |
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ここからR415を離れて左折です。(地図) ここにも「新道からの斜め道は古道の法則」が当てはまります。w |
今一、街道っぽく無い様な…… |
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途中、こんな祠を見つけました。屋根には「鬼」、柱に「上り龍・下り龍」、左右の壁には「象・獅子」… 派手です。w |
立派な松が生える神社前を通ります。横には中町曳山格納庫があります。(地図、多分。。。) |
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中町曳山格納庫を過ぎて、海岸サイドを通ります。 |
海老江の「天狗松」の跡地です。漁をする船の目印にもなった言います。(画像クリックで、在りし日の天狗松です。) |
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ここで再びR415に出合います。 目の前には足洗潟があります。 親鸞聖人が島流しにさせる前、ここで足を洗ったとか…… (画像クリックで、振り向いて撮った画像です。) |
R415を走ります。富山市に入る手前辺りから浜往来の雰囲気が出てきます。(地図) |
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四方に入る手前の、ここで左折します。(地図) |
道なりに直進です。間違っても広い道に逝かないように… (地図) |
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途中から道幅が広くなります。四方は大火にあい、道路の付け替えもあったといいます。この後、適当にトレースしますた。w そうそう、画像の祠には怪しい顔?が飾ってあります。なんでやろ??? (画像クリックでどんぞ。。。) |
四方西岩瀬の諏訪社の大木横を通ります。(地図) |
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日本海石油工場の裏を通ります。(地図) |
北陸電力富山火力発電所の裏を通り、神通川左岸サイドに行き着いて、今回のトレースは終了。(地図) |
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浜往来(街道)の(旧)新湊市港町(三ヶ新)〜富山市四方(神通川左岸河口)を走りました。 歴史的に見て、旧北陸街道より歴史が深く、多くの著名人?も通ってます。w ただし、波の浸食・大火……等々による道路の付け替えで、当時の道路の面影は残ってません。 しかし、懐古趣味的にトレースするのも楽しいです。えっ、違う??? w |