富山の街道(ふるみち) 


 御上使往来(氷見往来) 高岡市守山〜小矢部市馬場 
 高岡市守山  小矢部市馬場

 走行日 2007年02月25日 晴(風メチャ強、チト寒し)
 車種   ラレー クラブ・スペシャル

 富山県歴史の道調査報告書&高岡市歴史の道を歩く、を参考に走りました。
 資料見て走ったつもりですが、間違った所があるかも……汗
 

 
御上使往来を走りますた
高岡市守山〜小矢部市馬場です。
守山〜六日町

三日町〜石動
画像クリックで大画像です。
緑色が御上使往来、
紫色は山根道。(太古の北陸道。) 

今回は二上渡りの守護町側からスタート。(地図)
 「えっ?、守山からじゃないがけ?」
と、お思いの方は鋭い。w
その通り氷見往来は海老坂峠を越え、
守山から小矢部に向かってます。

でも〜、
バイブル(=歴史の道報告書)が二上渡りからなのよね。そんなんで、小矢部川左岸の守護町からスタートです。

 

途中で左折してヘロヘロ進む。
地図を見てトレースしてるんだけど、
今一自信なし… (地図)
そうそう、ここは守護町一丁目。
昔は、「渡り」という地名だった。
 

これは高校時代に使っていた地形図。
「渡り」という字が確認できる。
因みに、色が塗ってあるとこは、
自転車で走った所!!!という証@しるし…w
 

実は、守護町から守山までは???です。
多分ですが、ここ辺りを通っていたと思われます。
(地図)
 

ここから再トレース。(地図)
ここから守山集落に入ります。守山から石動間は氷見往来でもあります。新鮮な魚を金沢に運ぶためにダッシュしたとか… わざわざ氷見から運ぶということは、武家階級への高級魚だったんでしょうな。
 

守山集落内を通ります。
プチ良い雰囲気。。。
 

R160を横切ります。
(地図)
 

新県道である小矢部伏木港線@32号線を
横切ります。(地図)
渡ってすぐに右斜めの道に入ります。
 

往来は須田集落の八ヶ用水サイドを進みます。

 須田集落を過ぎると再び県道と合流。(地図)
新県道が真っ直ぐになったので廃道があります。
 

ここ(=地図)から旧県道に入ります。
横にはぽかぽか温泉があります。(地図)
 

旧県道の五十里(西)交差点を渡り、
斜め右の道を進みます。(地図)
 

斜め道に入るとウエルカムお地蔵様です。w

 なんか時間が止まった様な場所…

旧県道に合流。(地図)
 

アクアパレス前を通過します。(地図)
2007年03月いっぱいで休業だとか…
 

岩坪(北)交差点を直進して県道を横切ります。
(地図)
 

岩坪集落(=地図)を通り過ぎ、佐加野集落へ。(地図)
時間があるのなら左折して本陣跡に立ち寄りませう。
 

佐加野の本陣跡です。(地図)
 1851/2年に藩主、前田斉秦が江戸参勤のおり、二上山登山のための休息場として使われているとか。又、幕府巡検使もたびたび宿泊したといいます。
 

佐加野から帰りたい気分を抑えw、
答野島(昔は塔野島だったとか…)を通過。(地図)

往来は四日市交差点を直進します。(地図)
左折は高岡道と呼ばれていたらしいです。
小矢部川の渡→福田六家→和田で北陸道です。
 

四日市交差点右折して直ぐの所にある地蔵堂です。道路改修のさいに集められたお地蔵様が並んでます。
この一つに「右石動、左高岡」と刻んであります。(地図)
 

四日市交差点をちょい進み、
画像の道を左に入り、道なりに直進します。(地図)

集落を過ぎると寂しい道になります。(地図)
ん?、奥に何かあります…
 

西南役戦死者前口弥次六の碑と、
力士旭川忠三郎の碑があります。(地図)
往来は下八ヶ用水サイドを進みます。
 

 下八ヶ用水サイドを進みます。(泣)
 

途中、右岸の方の道が良かったので移動。w
(腐っても700cなんで…w)
 

用水サイドを進むと、祠発見。(地図)
往来はここから農耕地整備で???です。
バイブルでは、小矢部川寄りに進んでいたみたい…
 

野生の感で、ここからスタート。w
(地図=多分…)
画像の後には、、、
 

古そげな地蔵堂があります。
横にコンクリート製の掲示板在るのですが、
「赤丸村、大正14年6月建設」と刻んでありますた。
 

道なりに石動方面に向かいますが、
行きたい所に道が無い… 多分、田んぼを直進です。(田んぼの中に水準点があるもんね…) (地図)
 

迂回して、多分ここであろうという所に着。
辺りは新興住宅地です。(地図)
 

三日市の八幡宮に着。(地図=多分)
鳥居前には大きな地蔵堂があります。昔、近くに加賀藩の米倉があったといいます。
 

地蔵堂です。
ここから迷いまくりますた……
 

素直に画像の県道に出て石動と思ったら差にあらず…
(地図=画像の場所です)
 

実際は、三日市の八幡宮サイドから県道を横切り、
普門寺横を過ぎて、弓なりに進みます。
画像はここです。(地図)
 

道なりに進みますが、
画像の所を直進して県道に通じていたはず…
(地図)
 

ちょい県道を進み、ここで西側に弓なりに進みます。
(因みに、トレース不可です。)
ここには地蔵堂x2と日蓮宗の題目があります。(地図)
  

西に弓なり進み、往来はここ辺りに通じていたはず。
そうそう、この辺りの昔の地名は「道番」でした。
(地図)
 

県道の一本西側の土屋集落内を走ります。
 

ここで県道に合流して道なりに進みます。(地図)
 

ここから旧道に入り、下向田集落を進みます。
そうそう、向田は「むくた」と呼びます。
(地図)
 

西明寺川の向田橋手前の三叉路です。(地図)
石動方面から来ると追分けになります。画像奥から左折が山根道、右折が御上使往来(新道)です。
 

上向田集落を過ぎて、県道近くに地蔵堂がありました。むしろで覆って縄で縛ってある冬囲いを多くみますが、ここのはお地蔵様への心配りが見受けられます。(地図)
手前に神社がありますが、往来は神社前を通っていたとか。
 

現県道は上野集落内を通りますが、往来は山手側を進んでいたとか。でっ、新しく出来た道辺りから山手側に進んでいたみたいです。(地図)

新道の横に怪しい道が…
往来の名残???

 

 山手側を進んでいた道は、ここら辺りで現県道に合流します。(地図) 横には真新しい地蔵堂がありまする。
 

田川集落に入り、画像のここで左側に進みます。
横には石碑があります。(地図)
 

トレース不可部分があるのですが、
多分、ここら辺りを通っていたはず。(地図)
 

子撫川の橋手前で、現県道と合流。
渡った後、往来は東側に弓なりに進みます。
ここから暫し、トレース不可です。(地図)
 

迂回ルートでR8西中野交差点を渡ります。(地図)
往来は、この交差点斜め前の共同墓地内を通ります。
 

少し進み、東部小学校サイドを直進。(地図)
往来は左側の田んぼ内を進んでいます。
 

往来はここで合流します。
(地図)
 

八和町の止まれを直進です。
(地図)
 

八和町の街並みを進みます。
昔は柳町といい、御上使往来として栄えたとか。

ここの止まれを左折です。(地図)
 

馬場にでて旧北陸道と合流します。(地図)
この後、御上使往来は左折して、旧北陸道と共に芹川まで進み、芹川からは大道に入り、矢部→戸出→砺波方面へと進みます。
今回はここでお終いです…
 


今回、二上渡りから石動までの往来をトレースしたのですが、
田畑の区画整理で、大部分の道が消滅しているので結構苦労しますた。
途中、三、四、六、八と市の名が付く町を通りましたが、実際に市が開かれていたみたいです。
しかし、捕れた魚を早く運ばなくては行けないとはいえ、辺鄙な所を通ったもんです。

次は、懲りずに御上使往来の芹川〜戸出を計画。。。w
以前にr9でお茶を濁したんで……





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