熊野往来 (射水市大門町〜水戸田) 射水市大門町 水戸田 走行日 2009年02月07日 晴(風メチャ強、チト寒し) 車種 TREK8500 MTB 富山県歴史の道調査報告書&高岡市歴史の道を歩く、を参考に走りました。 資料見て走ったつもりですが、間違った所があるかも……汗 |
||
「延喜式」によると、大門水戸田から当時の国府である高岡市伏木には古くから道が開けていたと言う。 そのなかで、熊野往来は水戸田山中に鎮座した熊野社への参拝路である。 熊野と言えば、紀州熊野を思い浮かべるが当時の越中には紀州熊野信仰は伝わってなく、出雲の熊野神社のと考えられるみたいだ。 高岡開町のさい慶長14年(1609年)、熊野社は高岡上関村遷され1840年に社名を関野神社に改めたという。(遷されはしたが、社はそのまま水戸田に留まった。) 高岡開町の為には熊野の名=力にあやかりたいという前田利長の思いがあったのだろう。 大門の名の由来は、名の通り「大きな門」があったからだという。この門は、当然、熊野往来の起点に在ったと思われる。当時の起点は、熊野往来・放生津往来・草島往来の起点でもあるが、北陸道が整備されてからは北陸道のここ(=地図)からが起点と解釈される…と言おうか、、、しておこう。w |
今回のコースです。(画像クリックで大画像です。) |
|
起点です。北から南を撮影。(地図) |
起点から東@小杉・富山方面。 |
|
起点から西@高岡方面。奥に庄川堤防が見えます。 |
チョイ進み、錦交差点に着。(地図) 街道は交差点を直進です。 |
|
錦交差点を50m北に進むと、大門タクシー横に地蔵堂があります。「横町地蔵堂」と呼ばれているのですが、以前は熊野往来にあったとか。道路拡張で移動されたという。 |
交差点を直進し、和田川手前で左に進みます。(地図) |
|
進むと良い感じのクネクネ。w (地図) |
数m進むと新道と合流します。(地図) 往来は奥の細い道を進みます。新道との合流地点付近は、以前は道番という地名で、地蔵堂や誕生時への道標があったという。 |
|
道番に在ったという地蔵堂が近くの公民館内地所にあるので散策しました。 |
昭和36に改修された地蔵堂。 |
|
裏には銅板が埋め込まれている。 |
見にくいので補足。 小杉町 制作者 永森 藤吉 助手 同 幸作 旧道番有志一同 世話人…何たらかんたら… |
|
三叉路がありますが道なりに直進して二口集落in。進むと路傍に過去の遺物が多々あるんで要チェックです。(地図) |
二口にはあずま建ちの家屋が数軒あります。画像は誓光寺山門向かいにある吉田家。(地図) 立派なんで思わず立ち止まってしまいました… |
|
集落内を進むと、消防団二口分団の向に二口熊野社があります。(地図) ん〜、鳥居が木造だぎゃ。。。 |
「嘉永六年」の銘がある化け灯籠の一対。 熊野社は明治明治五年の社であるが、それ以前は熊野新宮と言ってたとか。水戸田の本宮に対しての新宮という意味合いだろうか。水戸田の熊野社が高岡に遷される時、ここで一服したという話が残っている。 |
|
二口集落を過ぎる辺りで、往来は新道に吸収される。 昔の記憶が吹っ飛ぶような変わり様。(地図) |
進むと、交差点角にJAいみず野二口支所に辿り着きます。(地図) 二口支所ですが地名は中村のはず… |
|
交差点角には道標があります。明治の作だとか。 |
二口支所は元は二口小学校跡地である。明治28年11月〜昭和40年3月(1895・11〜1965・3)の開校だった。 そうそう、地蔵堂も在ったのですが東側(約100m)に遷されました。 |
|
支所前には二宮金次郎像があります。以前は銅製でしたが、戦時中寄進して石像になったとか。 |
支所横には倉庫が在りますが、以前は体育館。 |
|
あおば台を通ります。(地図) 右手はあおば台の新興住宅地です。 |
あおば台の住宅街です。往来はこの住宅地内を進んでいたとか。 |
|
あおば台の左手の風景。奥に太閤山のガスタンクが見えます。その奥には立山連峰!!! 右手は激変しましたが、こちらはホノボノです。 |
本江集落内に入ります。(地図) 道幅も縮小し、ほんのりクネクネ。 |
|
集落入口辺りで忠魂碑見っけ。珍しい事に、兼ねる「日露戦没碑」です。 |
神明社前にある、立派な地蔵堂。 明治の中頃に二口の大工が作ったという。 |
|
集落を過ぎると本江交差点に辿り着きます。(地図) ここも風変わりしましたね〜。 往来は、この交差点の右斜め前を進んでいた。 |
多分、ここでトレース不可部分と合流していたはず。(地図) 資料には「橋本鈞宅前辺で新道と重なり、しばらく橋本正治宅前の大曲りまで旧道を拡張した…」とある。どちらの橋本さんか?なんだけど、一人は昔ツアー・オブ・ジャパンのロードに乗っていた橋本さんであろう。あぁ〜懐かしい。。。 でっ、この後は画像の斜め前方に進みます。 |
|
トレース不可なんで、サイクリングロード経由で迂回。(地図) |
迂回して、竹鼻集落から再トレース。(地図) |
|
ちょい進んで地蔵堂見っけ。ここから県道に出合って左折です。 |
県道止まれで左折すると「若林」のバス停がウエルカム。(地図) |
|
少し進むと太子堂があります。(地図) 八幡宮に合祀された元神明宮の社殿を流用しているという。中には聖徳太子二歳像が祀ってある。 |
太子堂の斜め前に地蔵堂があります。 横は墓地で、後ろは三昧(=火葬場)だったとか。。。 |
|
すぐに生源寺にin。ここまで来るとゴールは近い。 |
水戸田JA前の左斜め前の道に入ります。(地図) |
|
細い道を進み、ここで右折します。(地図) 普通車だと勘弁!!!です… |
右折して進行方向の画像。 |
|
大道(=高岡開町前の北陸道)に出合います。(地図) 渡ると密蔵寺への参道です。 |
振り向いて撮った画像です。狭いっしょ。w |
|
大道を横切ると、左手に地蔵&石碑があります。有名なのもありまする。 |
参道の左には稲荷神社があります。この神社は、神明・諏訪・天満と熊野往来の目的地である熊野社も合祀されている。 |
|
密蔵寺参道を進みます。 |
行き着くと石階段。登りつめると山門です。(地図) |
|
山門を潜ると右手に密蔵寺…。普通は正面のはず… (地図) |
山門の正面には観音堂。(地図) (ここが熊野社が在った所であろう。) |
|
熊野往来を辿ると、行き着いたところは密蔵寺… 高岡開町の頃に熊野社は遷されたが、熊野社はそのまま残っていたとされている。 でっ、疑問なのは密蔵寺。 密蔵寺も実は歴史が古く、天暦十年(956年)にすでにあり、寺伝には「熊野社の霊地に霊夢によって、なんたらかんたら…」とある。 多分、熊野社の新宮寺であったのであろう。 資料を読むと???な所が多いが、密蔵寺の山門を潜った正面にある観音堂が熊野社であり、往来の終着地であろうと〆ている。 |