富山の街道(ふるみち) 


 草島往来 高岡市古城公園富山市岩瀬浜街道 

 走行日 2008年08月02日 晴れ、風強
 車種   ユーラシア・ランドナー

 「大門町歴史の道調査報告書」を参照しました。
 資料見て走ったつもりですが、間違った所があるかも……汗


 草島往来が開かれたのは鎌倉時代初期で、鏡宮の無量寺の祖、草野道三によるものと伝えているという。
 この道は、高岡より大門を経て水戸田に通じる「熊野往来」が、庄川を渡って大門村で南に折れ進む所で分岐し、そのまま東に進み、犬内(東洋紡敷地内)・北高木・今井・沖・稲積・西高木・小白石・大白石・下加茂・利波・八幡を通って射水平野を斜めに横切り、草島村千原崎で神通川を渡り、岩瀬で浜街道に繋がる古道です。
 しかし、その遺構は殆どが失われている。。。

 慶長十四年(1609)、前田利長は封を利常に譲り、自らは富山城に隠居したが、富山市中に大火があり、城も焼失した。利長は魚津城に難をさけ、新たに高岡に城を築くことにした。築城にあたり、魚津と高岡を結ぶ最短連絡路として、浜街道から草島道を通るコースが選ばれた。これによって道は改修され舟渡場も開設された。
 築城後、草島往来は御鷹野道として使われたという。


 
 資料に載ってた往来地図。
 画像クリックで大画像です。

 でっ、今回走ったコースです。
 大部分がトレース不可なんで、現在ある道で走りました。
 

 こちらは、資料を見てなぞってみたヤツ。
 
 飲みながら作成したんで、スゲー適当です。w


 
 

 まずは起点の高岡古城公園。高岡城築城にあたり、前田利長は頻繁に高岡に通ったという。(地図)
 

 公園の周りには外堀がありまする。 

 中川熊野神社サイドを通ります。(地図)
 

 JR氷見線を越えます。(地図)
 

 踏切名に由来でも残っているカモ?と思ったけど……、普通でした。。。
 

 道なりに進み、野村小学校サイドを通ります。(地図)
 

 三女子に入ります。ロンシャンに行く角に地蔵堂が在ります。(地図)
 

 角に在る地蔵堂です。
 

少しすすむと庄川です。(地図)
高岡側から中洲までは橋が架かり、中洲から大門側は渡しだったとか。
(当時、和田川はもうチョイ上流で合流していた。)

大門からは往来は三方に分かれていたという。(地図)
右折が熊野往来。
直進は草島往来。
(東洋紡の敷地内を進みます。)
左折は放生津往来。


画像は旧8号線角のコンビニ駐車場内にある石碑。(地図)
放生津往来の物です。
 

 東洋紡を迂回して、ここから再スタート。(地図)
 

 中野交差点を直進。(地図)
 

 中野から右に進み、北高木に入ります。(地図)
 

 北高木のバス停横に在った地蔵堂。
 

 布目交差点を右折です。(地図)
  

 高木の農村公園に立ち寄りました。(地図) 高木は石黒信由の出身村です。
 

 R472を横切ります。(地図)
 

 今井北交差点を過ぎた所に在った地蔵堂。(地図)
 

 沖のバス停で左折。(地図)
 

 沖の集落内です。狭い…
 

 沖から稲積に進みます。
 寂しい道です。。。(地図)
 

 稲積集落内です。(地図)
 

 下条川を渡ります。(地図)
 先日の豪雨で濁りまくり…
 

 R8を渡ります。(地図)
 直に渡ると逝っちゃうんで迂回しませう。
 

 怪しい外国人が営む中古車屋街を進みます。(地図)
 

 R8大江交差点横に街道松ぽいのがあります。(地図)
 

一本松横に、御鷹野橋に関する説明板があります。
 

 一本松横の道(ダイナムの裏道)を進むと小杉白石に出て、往還道に出合います。(地図)
 
 




 小杉白石から草島までは、大部分が往還道と同じです。
 何度も通ったし〜、風も強いし〜、でここでトレースはお終いにしました。
 あぁ〜軟弱。。。



←←←  戻る
[PR]動画