旧北陸道 

  旧北陸道(=北陸街道)は江戸時代の初め、加賀藩の参勤交代や家臣の江戸往来の為に整備された北陸路である。藩では単に、「往還」ともいい、一般に北国下道中とも呼ばれた。はじめ、越中では、だいたい古代の官道に沿っていた。近世に至り、宿駅をおき、往還松と一里塚を設けて、金沢−津幡−竹橋−倶利伽藍−今石動−福岡−芹川−岡−木舟−古戸出−中田−水戸田−富山−水橋−滑川−魚津−三日市−入善−泊−境(関所) の道順で越後の市振に入った。その後、高岡城が築かれると、途中から、岡−本領八百−四十万−立野−和田新町−高岡−古定塚−三余子−大門−水戸田−富山 に変更し、さらに1639(寛永16)年に富山藩が築かれてからは、事情があって富山城下を通らないことになり、大門−小杉−下村−草島(渡し)−水橋 の道筋を得た。この街道では、下新川の黒部川の川越えが最大の難所で、大水が出ると渡渉が不能となり、何日も川止めさせられた。そこで1662(寛文2)年に愛本に橋を架けたので、この不便が解消し、三日市−浦山−愛本−舟見−泊 の上街道ができあがった。しかし、旅人には、距離が伸びるので上街道を経由するのは快くなかったと言われている。さらに、越後に入ってから、市振以遠の道筋は、糸魚川−高田−関山−野尻−柏原−善光寺−坂本−追分(軽井沢)−安中−熊谷−蕨(わらび)−江戸 の順路で、普通金沢−江戸間は12日の行程であった。なお、途中、高田からは佐渡行きの北国街道に入った。また、越前国へは、加賀大聖寺から細呂木に入り、いわゆる北国路に通じた。

 このHPでは、管理人が軟弱なので富山県における旧北陸道だけを紹介しています。他県の旧北陸道については、関連する文献、著書、他HPを探して下さいませませ。(汗)


 

富山県内の加賀藩参勤交代ルート
高岡市開町以前の北陸道
新潟・長野県境
善光寺
上越
新潟・長野県境
青海・上越 親不知
富山・新潟県境

越中境
富山・新潟県境

入善町 朝日町
分岐、泊本町
黒部市
分岐、三日市
宇奈月町
滑川市 魚津市
富山市岩瀬 富山市水橋
下村 富山市
小杉町
分岐、手崎
富山市茶屋町
高岡市 小杉町
大門水戸田
小矢部市 福岡町
分岐、芹川付近
高岡市
戸出・中田
倶利伽藍峠
富山・石川県境
金沢城 手取川
(粟生宿)
大聖寺 越前・加賀県境
大聖寺
栃の木峠
福井・滋賀県境
今庄
(上)鯖江
(上)鯖江
九頭竜川(舟橋)
九頭竜川(舟橋)
細呂木
細呂木
越前・加賀県境
鳥居本
木之本
木之元
野村

脇往還道
(前編)

野村
関ヶ原

脇往還道
(後編)


福岡町往還松跡にて

1970〜75年頃?
(場所不明=多分左画像と同場所))



  
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