旧北陸道   小杉町  富山市岩瀬 


走行日 2003年07月05日晴れ時々曇り
車種   ランドナー(ユーラシア)

画像は基本的に倶利伽藍峠から東に向かっての方向で写しています。
当時のルートに沿って走行しているとは思うのですが、間違っている場合もあるかも…
でっ、道路が無い場合は迂回したりしています。
参考資料は「富山県歴史の道調査報告書・北陸街道」です。
 

下村編はここからスタート。
白石です。  (地図)
 

新堀川にかかる橋の横にある石碑とお地蔵様。
(地図)

街道の横には白石の石垣で囲まれた用水がある。
せせらぎ水道と呼ばれている。  (地図)

新鍛冶川にかかる橋の横にあるお地蔵様。  (地図)
かつて鍛冶川は街道に沿って流れていたらしい。
 

この祠を過ぎると下村集落内は終了。  (地図)

本江にある道標。「右江戸道」「左はまみち」とあり、
文化十二年亥九月出来打出本江村と刻んである。
ここは加賀藩・富山藩の境界で道番の屋敷があったという。
街道はここから東(八町方面)へと進む。  (地図)
画像をクリックで説明板です。
 

何もない…  (地図)

富山市八町に入る。  (地図)
ここから恐怖のクネクネ攻撃…
まずは止まれを左折だがや。
注意!!!
ここから八幡小学校角までの道筋は、
富山県歴史の道調査報告書−北陸道−
の間違いです

 

県道207に出たら右折だがや。  (地図)

数百m行って右折…  (地図)
 

八幡小学校を過ぎたら左折。  (地図)
ここまでが間違い区間。

八幡宮を過ぎたら右折。  (地図)
これでクネクネ攻撃は終了。
  

新千原崎です。  (地図)
呉東は土管タイプの祠が多い。
 

神通川の土手にブチ当たる。  (地図)
昔はここに川の流れは無かったはずである。
そして、街道は左に大きな弧を描き岩瀬に向かう。
 
これで下村編は終了です。
 

「追記」



富山市日本海文化研究所紀要
第11号

草島道調査報告書

−射水平野を横断する歴史の道−


これを見ると、この区間は歴史の道調査報告書の間違いであるという

そんなんで、「サクッ」

行ってみました。^^




緑色のコースが歴史の道調査報告書の間違い区間です。
訂正区間は、
画像@〜Dまでの区間です。


 
 

画像@

ここから訂正区間開始。
報告書では止まれを左折だが直進。
画像を横切る道路は明治期の国土地理院地図にも載っている由緒正しい?道である。

 


画像A

画像@から数十m進むと、右手側に「馬三昧」または「一本松」なる室町期から明治期の遺物がある。

 


画像B

画像Aから数十m進んで、止まれ左折で用水路橋を渡る。
橋名は「一本橋」。ここで本江の道番からお供?してきた牛ヶ首用水とお別れだ。

 


画像C

画像Bから道沿いに進む。
画像の橋は「神橋」で、渡って直ぐに左折。
「一本橋」からこの橋までは、道路の付き変えや射水線跡の道路化で、所々失っているという。

 


画像D

進んで、八幡小学校横でトレース終了。


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