にゅうりん

庄川小矢部自転車道

加越能鉄道加越線跡



 加越線とは、小矢部市在住の有志らが、東西両砺波を縦貫して、沿線産業の開発と庄川流木飛騨材の搬送をとを目的とする鉄道線建設を計画し、1912(大正元)年石動−青島町(現庄川町)間19.5kmの鉄道敷設免許を受け砺波鉄道を設立、1919(大正8)年金福鉄道を吸収合併加越鉄道となる。1921(大正10)年中越鉄工所をさらに吸収合併し、1922(大正11)年幾多の難事情を克服、全線開通した。その後1943(昭和18)年県下交通大合同により富山地方鉄道に統合されたが、1950(昭和25)年に同鉄道からから分離した加越能鉄道の経営に変わった。両砺波の生活あるいは観光路線としてながく貢献したが、社会情勢の推移から利用客が減少し、1972(昭和47)年ついに50年の歴史をとじて廃線となった。  富山県大百科事典参照
 その後、バイコロジーブームなんてものが起こり、加越線跡が石動−庄川町を結ぶサイクリングロードと変貌した。皮肉にも、石動から庄川−高岡−大門−富山と続くサイクリングロードは加越能鉄道が計画した能登・石川・富山を鉄道で結ぶ壮大な計画と同じ路線だったみたいだ。

 コース
 2004年04月10日 晴れ、暑い  GIANT MTB@「御食事処 庵」
 自宅→旧北陸道経由で石動駅→廃線@サイクリング道経由で福野・井波・庄川町→戸出道@R156→自宅


 


ヘロヘロ〜と石動駅@表に着。  (地図)
駅うどんを食そうかと思ったけど、
朝食もうどんだったのでパス。
 

駅裏にまわり探索活動開始。
加越線ホームは石動駅の裏側(南側)にあったらしい。
現在、駐車場になっているみたいだ。
 

右上の駐車場の反対側から専用道が始まる。
(ここからの画像は基本的には石動→庄川の方向です。)
(地図)
 

少し進み右を見ると、旧北陸道のお地蔵様があった。
ふらふら〜と吸い寄せられてしまったがや…
(地図)
 

南石動駅跡。公園になっている。
この手の輪留めは大変走りにくいのよね。
(地図 ここら辺り?)
 

南石動駅跡を過ぎると、閑散とした風景が…
あぅ〜、飲物買っとけば良かった…
 

四日市駅跡。  (地図)
駅跡は公園になっているパターンが多い。
右横の道路は県道273浅地小矢部線です。

藪並駅跡。  (地図)
白い建物はトイレで、右のは元駅舎だったらしい。
現在、浅地公民館と余生を送っている?
(画像クリックで公民館の表画像です。)
 

北陸高速を潜るとR359で専用道が寸断される。  (地図)
小矢部川を渡る鉄道の鉄橋も撤去され、
津沢小学校の建設により、鉄路の面影は無い。
迂回し、ゴールドウィン社屋横から再スタート。
 

道路により寸断されている津沢駅跡です。
(地図 ここら辺り?)
繁華街だったという雰囲気はない。


津沢を過ぎ、東海北陸高速を潜ると、
なんでこんな所に鉄道が…という気持ちが…
画像は本江駅跡です。  (地図 ここら辺り?)
左横の道路はR471です。

 

野尻駅跡です。  (地図 ここら辺り?)
しかし、なんでこんな所に駅が???

柴田屋駅跡です。  (地図)
ここより先は道路拡張の為か、車道兼用となる。

 

兼用道路を進むと、
専用道に再びお目にかかれる。  (地図)
ここが線路跡だと言うことを一番認識される所かも。

 

福野駅跡である福野駅裏です。  (地図)
高架はぐるっとまわりJR城端線をまたぎ
福野駅裏に出るのだが、工場により寸断されている。
ここから井波方面はしばらく車道兼用となる。

 

ここから再び専用道が始まる。  (地図)
ここから眺める牛岳&八乙女山が良いですな〜

焼野駅跡です。  (地図)
駅跡というイメージは全く無い。
前を横切る道路は南砺スーパー農道です。

 

高瀬神社駅跡です。  (地図)
画像左の建物は農協の倉庫で、
専用道横の背の高い建築物は神社の鳥居です。
鳥居の右側が裏参道で、
正月には屋台の香しい匂いが立ちこめる所である。w

 

専用道は東洋紡績横を通る。  (地図)
過去には東洋紡への引き込み線も在ったという。
会社横の桜が大変きれいだった。

 

旧井波駅舎です。  (地図)
現在、井波町物産展示館として余生?を送っている。

庄川駅跡…かな?  (地図)
昔〜の記憶に、駅舎をバスターミナルとして
活用していた記憶がある。
現在、新興住宅地として余生を送っているみたいやね。
 
これにて専用道探索はおしまいです。

 
長くなってしまった…
まぁ、雰囲気だけでも感じてもらえば
自分的にはOKです。


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