にゅうりん

忘れられた道、
小原道(=小原越、小原街道)



 小原道(小原越、小原街道と表記される場合もある。)とは、富山と石川を結んだ古道で、旧北陸道の脇街道(裏街道)的な役目を持っていた。旧北陸道の倶利伽藍峠を越えるのとは違い尾根道を主に上るため勾配も緩く、金沢に近いということもあり、物資の輸送は小原道を使うことが多くなった。これを快く思わぬのは主街道の北陸道沿いの宿場である。加賀藩・富山藩に訴え、物資の運搬の使用停止を求めたのであった。困ったのは両藩で、判決も二転三転したという。しかし、高岡の発展のため街道を高岡経由としたため、小原道の使用は禁止され忘れられた道へまっしぐらとあいなった。小原道は、内山峠道のすぐ南側を通っていて、コースは五郎丸枝道−内山枝道−松根峠(松根城跡)−県境−松根−鳴瀬。宝永八年(1711年)、小原街道の物資の輸送は禁止。その後廃れる。
 他に田近道、安養寺越えと呼ばれた古道もあった。
 石川のサイクリスト、マッタさんが小矢部市側から攻められたが、完璧にトレースはできなかったという。んじゃ、松根峠からのコースならなんとかなるべ!と思い、松根峠からのトレースになりました。

 コース
 2004年05月02日 晴れ、暑い  TREK・MTB
 小矢部市五郎丸(R309)→内山峠→峠横からの林道松根城線で、→松根峠→小原道をトレース→小矢部市五郎丸(R309)


 


R359内山峠。(地図)
スノーシェッド横の林道(松根城線)から松根峠を目指す。
2.1サイズのタイヤで来るところじゃないわね…
 

結構辛かった林道松根城線を経由し、
松根城跡からはじまる小原道にたどり着く。(地図)

松根峠は画像奥のピークです。

すぐに松根峠に着。
ここからは下りが多い。
(地図)
 

ありゃー…
アッという間に今来た林道松根城線に合流。
ずっとこんな感じの林道が続く。
 

林道を疑心暗鬼で進む。
やっと、それらしきブツハケーン!力持地蔵です。
明治初期に内山村の青年に
相撲を教授したという力士の碑です。(地図)
画像クリックで正面画像です。

 

変形十字路にブチ当たる。(地図)
右に折れると人母枝路(百見坂)があり、
左に折れると内山集落に入ってしまう。
小原道は変形十字路を道なりの直進が正解です。
しばらく進むと画像のお休み場に着く。(地図、多分)
画像クリックで辺りの風景画像です。
(来た道を振り返っての画像です)
 

林道を進むと「↑小原越旧道入口」なる標柱が…
↑に従い進むと……
 

思わず笑ってしまった!!!!!!
いやぁー、こんなの好きです。
倒木があったけど、乗車率は60%以上はいく。
逆コースじゃなくて良かったぞい…
 

舗装路に出る。(地図、多分…)
新しく造られた林道なのか地図には載ってない。
 ここから山鹿の里までは舗装路です。
 

山鹿の里から地道を進むと馬つなぎ場に着く。
もう平野部に近いのか勾配はきつくはない。
が、藪漕ぎになってしまう。(地図、多分…)
 

城の空堀跡なのか小高い土手上を走る。
ここから平野部間の道は整備されてある。
 

やっと平野部にたどり着く。(地図、多分…)
造成中のフロンティアパーク横を通る。
 

舗装路にでる。(地図)
これ以降、小原道はR359の南側を東方面に延びていて、
小矢部IC内を通り、小原道基点である
浅池追分(地図)にて小原道は終了である。
当然、面影はない。

 
小原道。
今回は案内板に助けられました。
地図を見ても展望が良くないので、
何処を走っているのか把握に手間取る…
案内板の立っている間隔は自転車だとOKだが、
歩きだと、チョイ長すぎるかも。
しかし、良い感じで残ってました。
関係者の努力に感謝したいものです。


 


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