第2号 利賀村周遊ラン 水無峠、山の神峠B
記録シート 8 1980年6月8日(日) 晴れ 出発時間 6時(小牧ダム) 解散時間 15時30分(小牧ダム) 地図=白木峰、白川村、飛騨古川、城端、八尾(1/5万) |
全所要時間 9時間30分 全休息時間 3時間10分 走行時平均速度13.7km/h 全平均速度 9.61km/h |
<所感> 利賀周遊ラン 小牧ダムからいきなり8〜10%の完全舗装の道を利賀川沿いになんとか走り上がる。足も慣れスピードが乗り始め、細島を走行中鉢呂君が突然、対岸に親戚が見えると言う。「顔を出してこい。」とけしかける。2〜3分後に彼は照れくさい顔をして、お土産を手に坂を下って来る。向こうのおばさんが手を振ると彼も照れながら前向きのまま手を振って別れる。 8時40分、村営バス停大勘場の山菜採監視所前で腹ごしらえをする。コンクリート造りの大勘場分校は51年(もち昭和)に廃校。また、ひとつ手前の桂尾分校も児童が一人で、来年は卒業して誰もいない等、監視員の話を聞く。また、私の高校時代の友人が田ノ島出身で、当時2回にわたり今は廃家の彼の家に泊めてもらい、水無でキャンプをしたことがあり、彼、増山良栄君のことを尋ねると、よく知っていた。 4年前に角川から楢峠、二ツ屋峠を通り今日の逆コースで走ったとき、この田ノ島にただ一軒のみ住んでいて、話しかけると我々に昼食を勧めてくれたおばあさんも元気で、今は阿別当に移り住み、田ノ島も廃村になってしまい、道路が整備されると過疎が進む話す。10数分の間釣りの車が1台通過しただけで、山菜採りをチェックするのも、後のことを考えず根こそぎ採っていくからチェックしているので、我々サイクリストが少しぐらい採る分には、お構いなしのニュアンスであった。 水無神社の隣の民家のおばあさんに水を貰う。何処まで行くのかと問われ、水無峠への道の状況を聞く。 水無峠には何と、山菜取りの車が10台位止まっているではないか。山菜(主にススタケ)を見せてもらっていると、盛んに峠の西側の金剛堂山へ登るように勧められたが、片道1時間半では断念せざるを得ない。この男の人は、西に先程見えた白山、東に立山とガイドをしてくれるが、この峠は見晴らしが悪く、両方とも全く見えない。 峠からの急な地道を百瀬川沿いに一気に下り、途中先程の山菜採りのおばさん達数人が荷台で手を振るトラックに追い抜かれ、竜口谷岐路の監視所で小休止。ここのおじさんも金剛堂山の登山口の説明等をしてくれる。 上百瀬の利賀中学上百瀬分校の、山の神峠Bへの分岐点まで来ると道も良くなり一息つく。地図を広げて峠へ行くか、計画採通りに楢尾トンネル経由にするか思案中に、村の子供数人が蛇がいるとか、地図を見せてくれとか、オロロのようにいじくらしい。結局、峠に行くことなり利賀谷沿いの山道を再び押しの行進。峠の上方数mに旧の峠道があり、大杉の幹の穴に石仏が祭ってあるのを見つけ、前回、津幡、麻生の両君が来たときは解らなかったものだけに、またまた話の種になったのである。 利賀の村人と大自然に触れあった今日のクラブランは、脇山大橋から小牧ダムまでの7.3km平均36.5km/hのダウンヒルで有終の美を飾った。 (二塚) |
利賀のトチノ木 |
大勘場バス停 |
利賀川ダム |
水無神社 |
水無峠への上り |
水無峠 |
金剛堂山登山口 |
山の神B峠 |
山の神B峠のお地蔵様 |
ばったより 水無峠は、地図には載ってません。 地元の人に聞いたんじゃなかったろか? 東俣峠とよぶ人もいるけど... |
《跡書》
念願かなって昨年末クラブ機関誌を発行したが、創刊号と銘うったところ、事務局より「そうしたら今後も続けんといかんし、どうして号数などつけたがか!」と、クレームが付いたのであるが意外と好評のようで、35部は少なかったと、継続の自信を深くしているのが現状である。
少しでも一回当たりの負担を少なくしてやろうと年2回発行を主張したところ、創刊号に負けぬ原稿が集まり、誠にもって有り難迷惑であるといったところが、ガリ版屋のヒガミである。発行予定日よりやや遅れたが、なんとか完成となった。
今回のガリを切って感じたのは、サイクリングの実施記録があまりにもお粗末なものがあったということである。石瀬君のもののように、できるだけこまめに、距離まで入れて記録を残すようお願いしたい。
夏を迎え、学生、生徒諸君はサイクリングの好季節となったが、暑さに負けず走り回り、次の第3号に原稿を寄せていただきたい。 内島
輪跡 第2号1980年7月 発行日 1980年7月5日 発行者 高岡・サイクリング・フレンズ (T.C.F) 発行部数 50冊 |