第5号 新杉谷峠、八乙女峠

 

1981.5.6

 昭和56年5月6日、今日は新杉谷峠、八乙女峠を登ることになった。なぜ本日この峠に登るかというと、3月28日の栃折峠と同様にこの峠も毎年の恒例となっているからである。本日の相棒は恐怖の人間工具の前田氏と二人である。前田氏と私めは小牧までのダヤーイ道をブツクソ言いながら1時間余りで小牧ダムに到着していたのでありました。
 しかし、今年の五箇山は雪が多く杉谷の道も雪がだいぶん残っているのでは? と前田氏と話しながら小牧を出発し、僕等二人は杉谷を目指すのでした。ゆるいアップダウン続くR156を走り長崎を過ぎ (長崎の手前です。ばった) スノーシェッドを二三くぐると杉谷の入口があるはずなのだが、なんと雪がまだ2m50cm程残っているではないか。ウヘ〜と言いながら僕達二人は二つ手前のスノーシェッドの横から登ることになった。
 自転車を肩に担いでガケを登ること約15分。やっと杉谷峠の道に出る。今来た道を見下ろすとアホらしくなってくる。小休止をとって前進。この後も難所は続き、あげくの果ては木の棒で三角錐をの形を作った通行不可の意味の標示まででるしまつ。それに熊の足跡まで有ったと言う。(ビビル)
 悪戦苦闘の末に杉谷に着いたのが13時30分。すぐに昼食の用意。ここまで来て気づいたのだが二人ともマッチを持ってきていなかったのである。ポカリスエットを飲んでもとれないような脱力感。しかたなくそのまま食べて腹ごしらえをした。
 帰りは東大谷線を登って八乙女峠まで行く。この道は地図には載っていないが途中に布滝があることでおおよその位置がは見当がつく。道はまずまずの状態で登りやすかった。しかし、八乙女峠に着いた僕等は火を持たないため一杯のコーヒーも沸かすことができず、情けない気持ちを胸に高岡への帰路についたのであった。
 家に帰ったら自転車に 「お勤めご苦労さん」 と言いたい。ワッハッハッハ  
鉢呂


歴史コーナー   K.I

八乙女山の山中に口径7m 余の奥の深さは計り知れない穴があって、毎年5、6月頃、あるいは二百十日頃、穴の中から強風が吹き出して細い砂煙が立ちこめ、辺りが見えなくなるし、よく大火の原因となったと語り伝えている。
現在は風穴神社となっている。また風穴の少し離れた所に金鶏塚がある。
毎年、元旦にはここから鶏鳴が聞こえるそうである。

 

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