第5号 茂住峠、長棟林道 輪行の旅
1981.7.24 晴れ Na〜と、初っ端から急な上り。きのう変えたF変速機ユーレー・クラブUも立派に動く。 ( 初のロー・ノーマルなもんで、、、) 途中、大津山に通じる道を確認し黙々と上る。途中から鉢呂もバテ ( 塚原はもちろん ) 久しぶりに彼の押しを見る。しかし、カメラを向けるとなぜか必死にペダルをこぐ。彼にもミエという物があるらしい。峠に着いたのは9時51分。時間がたっぷりあるのでゆっくり昼飯を食う。 なお、茂住峠には長棟林道開通記念碑しかありません。 ( 残念ながら有るのです。向かいのヤブの中に立派な石台に乗った2体のお地蔵様が、、、I.K ) |
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峠を10時46分に出て、待ちに待った長棟林道にIN。入口にはゲートがあり一般車両を止めている。左手に見える長棟川に沿って林道があります。左はもちろん崖、そして谷
( かなり深い ) です。景色は高い山、深い谷、そして清い流れ、それらがマッチし
「 小黒部 」 という感じです。 途中に第一〜第三號隧道があり、真ん中の第二號隧道は岩をくり抜いたまんまのトンネルです。これがまた、何とも言えないフゼイの代物です。下手な峠より絶対オススメ。 それから、林道の終わり頃におまけみたいな峠 ( 桧峠 ) があります。この峠は、あの有名な石瀬さん ( どんなことで有名なのかな? K.I ) でも 「 かるい、、」 と言わせた程の峠です。 僕等が峠に着いたのは12時41分。峠からは、神通川を挟んで岐阜の神岡方面の山々や、戸田峰、細入村辺りの山も展望され、峠の実感も味わえます。 峠から荒屋敷 ( 廃村 ) に3km程下ると長棟林道はENDです。しかし、この下りの400m程、地獄の下りでした。新しい砂利がひいてあり車輪が潜り、ハンドルが取られるのです。1 1/4の塚原君にとっては僕等以上に地獄であっただろう。 舗装路にでてから高岡までは、道に迷いながらも無事15時35分に着きました。 今日のランは長棟林道のすばらしさに大感激!! |
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茂住駅 |
茂住峠。反対側にお地蔵様 |
林道のゲート |
長棟林道。ここから長棟川沿いに |
第二號隧道 |
桧峠 |
歴史コーナー ( 長棟鉛山 ) ( 坂田金時 ) K.I 桧峠には珍しい伝説がある。金太郎でおなじみの坂田の金時が薄波村(廃村。現在、長棟第一発電所がある)に住んでいたことがあり、ここの峠で相撲をとったとか。しかし、源頼光の家来で四天王の一人で大江山の酒呑童子を退治したという話までは知っていても以後のことを知る人は少ない。四天王はすべて富山県に来たのである。栃折、布谷等山間部にちらばり、栃折にはその内の一人(名前は?)の墓が草深い山中にある。 現在、坂田金時の子孫が上市町に移り住んでいる事などを考えると、相撲をとったことは別にしても、有りうべき事である。 |