第6号 卒塔婆峠ラン
1981年9月20日 ( 日 ) 晴れ 卒塔婆峠ペアラン 宅美 |
午前5時。空は星がきれいである。 まぁ、星の事はどうでもよい。とにかく、筆者と鉢呂氏はTCFの誰もが行ったことがないという、白川村の卒塔婆峠 ( ソトバ峠 ) へと鉢呂宅を離れたのであった。 7時41分。皆葎で朝食である。ここで会った人に熊はでるか?と尋ねると 「 出ない。」 とのことである。 白川村の飯島で峠への道の事を聞くと、崩れていて無理との事。どうしても行きたいのなら白山スーパー林道への道を馬狩の部落まで登り、そこから峠に向かって、帰りは同じ道を引き返すしかない、との事である。筆者と鉢呂氏はお礼を言ってスーパー林道の入口へと向かった。 スーパー林道への道は舗装路で10%の標識がガードレールの様に立ち並んでいる。二人はいつしか蛇になり ( 蛇登りの事です。。わかる人はわかると思う。ばった ) 9時40分、二匹の蛇は馬狩の部落から山に入った峠道起点の橋に着いたのであった。 途中、道を間違えながら10時10分、ついに峠に立った。峠は切り通した感じで左側に大杉があり、その根元には祠があり四体の地蔵様が納められている。 また登山道のようなものがありソウゾウ山山頂へ通ずるのではないかと思われる。来年は飯島からの道も直ると聞いていたので、ぜひ飯島から登りたいものである。 峠の制服を記念して筆者は熊よけのロケット花火を上げて峠を後にした。途中でオニギリ2ヶ、コーヒー、お汁粉を腹に納め12時30分には、ブナオ峠の分岐点である西赤尾のガソリンスタンドで、ブナオ峠から下ってくるはずの松木氏を待つこと46分、13時16分、松木氏が下ってくる。途中バーストしたとのことだ。 バテた顔の松木氏と小牧に着き、二塚サイクルに電話を入れる。柳瀬辺りでスーパーカブに乗った出迎えの二塚氏と合流する。思えば12時間3分の道のりであったが大変楽であったことを付け加えておこう。 付録 ‘‘ 卒塔婆 ’’とは供養のための墓の後ろに立てる上部が塔形の細長い木の板でトウバとも言う。 また、仏舎利 ( 仏骨=釈迦の遺骨 ) を安置し供養する為に立てる塔のことでもある。 |
画像がない で、 1984年8月25日 卒塔婆峠カーサイクリングの画像を挿入 白山スーパー林道料金所への上り 眼下にR156とダム ○木君のアルバムでは、 大牧ダムと表記されている でも地図上では、鳩谷ダム |
卒塔婆峠 メシ中 |
卒塔婆峠の祠 |
卒塔婆峠 祠 ばったも行ったらしい? 車も出し、カメラも写したらしいが、 全然記憶が無い、、、 |
○木君のアルバムには、 トンネル上の旧道と表記されているが? |