第7号 山の神峠A の誘惑
1982年9月26日 晴れ 参加者 二塚、溝口、高橋、内島宏、稲垣 クラブラン 山ノ神峠A 利賀村経由 レポート 二塚 |
レポート1
*山の神峠A ( 平村・利賀村境 ) 880mの頂上には、その昔山越えする村人達が目印にした一本杉がそびえる。その脇に昭和28年利賀村が建てた避難小屋がある。 今年から( 注 1982年 )ふもとで大規模林道大山福光線の工事が始まった。現在のトンネルよりはるか下、阿別当より二、三百メートルで、トンネルを掘り始めている。完成すると利賀と平はぐっと近くなり、峠の大杉まで登る人はますます少なくなるのではないか? |
1982年9月26日 クラブランのタイムデータ
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レポート2
* 君ならどちら? 山の神Aの口説き法 我がT.C.Fでは最もポピュラーな峠の一つ、山の神峠Aは過去3回のクラブランで延べ22名が征服している。過去2回は平村から攻めたので、今回は利賀村からの峠行き。 そこで、どちらから攻めた方が楽しいかというレポートと相成った次第です。 まず、距離は平コースは小牧ダムより25.8km。利賀コースは28.4kmと平コースが1割位短い。しかし、距離の長短はあまり重要ではなく、上図の如く登坂の形では大きな違いが見られます。 平コースの場合は、小牧より大牧トンネル経由のR156は庄川の流れに沿って大した起伏もなく余裕を持って走れるのである。しかし大渡橋を渡った後は、東中江、夏焼と道は舗装されているが、急な登りはここで一変にスタミナを消耗してしまうのである。地道になったとたんに登りは一層急となり押しの行進の始まりとなる。マイペースの4km/hの世界となり、辺り一面の静寂を打ち破るマイカーの砂塵を避けながらそれでも一歩一歩進む。 それにしても峠までの8km余り、2時間弱の行程は残り30分位がまことにもって苦しく、何を好んでだやい( 辛い、疲れる@富山弁 )目にあいに来ているのか自問自答しながら進む。誰も後押しをしてくれる者もいず、誰も遅いからと向かえに来る者もいず、そしてまた、石瀬氏の実用新案申請準備中の 「 自転車引っ張り用ヒモ 」 の効用も少なく、ただ自分の力で進む。 いつの場合でも、そういう事が続いた後の峠を征服した喜びはその過程が苦しければ苦しい程、倍加するのである。 一方、利賀コースは小牧ダムより脇山大橋までの6km余り、途中10%の標識を横目に一気に登り。登り始めで力もまだ余裕があり、なんとかノンストップでと頑張るのだが長くは続かず仕方なく押す。右手庄川の対岸に見える新杉谷峠の杉の木と標高を競いながら高度を稼ぐ。利賀川の支流に架かる脇山大橋まで高度を稼げば、このコースの半分は登った事になる。利賀村内は割と平坦で走り易く利賀川沿いに上流に走る。 峠の入口阿別当のはずれより2回目のアップ。登り始めると直ぐにトンネルの工事中。仕方なく?ぬかるんだ道を押す。そしてこの後も峠までずっと押しっぱなし。数十分の時間を費やし、ようやく峠直下の山の神隧道に到着し小休止となるのです。 ここから峠の大杉までの15分の押しが又つらい。自転車を隧道の入口に置いていけば良いのだが、そこはサイクリスト!自転車と一緒に行動したい心理からか、必ず、愛車も峠まで連れていくのである。そして草をかき分けての苦闘の末に見つけた峠のゴミ入れの中のからT.C.F先輩諸氏が残して行った 「 江戸ッ子煮、ホテイの焼き鳥、etc 」 の酸化した空き缶を見付けた時、どちらのコースで走破した場合でも君は大大満足の快感に浸ってしまうであろう。 さーぁ!君ならどちらから攻めるのか?どちらのコースが好きですか? 何はともあれ両方から攻めて見てから結論を出しても遅くはないですよ。 何故なら君等にはまだ若さがあるではないか。両方のコースで峠に立った暁にはT.C.F未公認の 「 A級ライセンス 」 が、君の頭上にSUN然と輝くのだ! そして君等は、今が青春なのだ。そして私にも、、、 |
山の神峠A
クラブランなのに画像がナイ
で、お得意の過去のヤツを張っ付けときます by ばった
1979年7月8日 小牧ダム堰堤近くの吊り橋 この吊り橋は古道で、至る角川方面である 詳しくは、庄川町で検索してネ |
1979年7月8日阿別当にてここまでが舗装路であった |
1980年7月13日 阿別当からの上り 一年後は舗装路になっていた この場所は、知る人ぞ知る命の水の場所 ここの水はメチャ美味い! |
1979年7月8日 山の神隧道より阿別当方面 右上の道は峠に至る |
1979年7月8日 山の神隧道 阿別当側 |
1980年7月13日 山の神峠 左下にゴミ箱が少し見える |
山の神峠A
新トンネルも開通し、冬季でも利賀〜平の通行が可能になった
で、
旧のトンネルはどないしょ?という話が利賀村内に起こった
豊富に積もる雪を貯蔵し、冷蔵庫にしようという話がでて実験を行ったみたいである
結果はどうだったのであろうか?