第8号  チープシック派の能登半島一周ツアー 

 

1983年4月2〜5日
参加者   市岡、摺出寺



 前半の部  昭和の文豪 摺出寺

 4月2日、予定より15分程遅れて、これから始まる地獄をも知らずに雨の中を私と市岡君は一路、羽咋駅を目指して力強くペダルを踏み込んだのでありました。
 羽咋市に入った頃から雨も小降りになってきたので上がるかな?と思っていたのですが、その考えは非常に甘い考えでした。志賀町へ向かう途中から雨足も強くなり、しかも、風も出てきて行く手を阻むのでした。私は慣れないサイドバッグとポンチョが、まともに受ける風で市岡君にかなり遅れてしまいました。海岸のトイレの横に愛車を止めて休んでいると雨風も一段と強くなり私達は口数も少なくなり、ただ黙々と能登金剛を目指して走りました。
 私達の思いが通じたのか富来町に入った頃から雨も上がり、風も追い風に変わりました。巌門から関野鼻位までは、なかなか見応えのある海岸線が続き、その後は門前までほとんど氷見の様な海岸線を追い風の中、ルンルン気分で快走しました。しかし、意表をついて輪島の前に越えた山はしんどかった。でも、どうにかこうにか17時には輪島駅には着くことができた。
 駅員に待合室を閉めるかどうか聞くと、閉めるらしいので待合室の外で眠ることにして、大勢の人の前で私達は夕食を作り始めました。すると売店のおばさんが、まけておくから弁当を買わないかと言ってきました。私達は断りましたが、しばらくしてから、どうせ始末するからと弁当をタダで私達にくれました。美味しい弁当も食べて、風の通り抜ける中、シュラフに入りましたが夜中に何度も目を覚ましました。

 4月3日、朝起きるとしっかり待合室に何人か眠っていたけどかまわずに朝食を作り、朝市を見物した後、一路、緑剛崎に向けて出発しました。昨日とはうって変わっての好天に、走りはとても快調です。が、千枚田ははっきり言ってしょうもなかった。サイスポのサイクル日記に出ていたラケット坂もたいしたこともなく楽勝であった。当初の予定よりずい分早く緑剛崎に着いてしまいました。緑剛崎をまわった所から向かい風に変わりましたが、それでも14時半位には見附島に着いてしまいました。
 早く着きすぎたので私はマンガを読み、市岡君は昼寝をして時間をつぶしました。今夜の寝ぐらの能登川尻の駅は水がないのでキャンプ場で夕食を作り、駅で眠りました。能登半島は春でも充分に野宿ができます。

 この後は市岡君にバトンタッチ・・・・・・



 後半の部  T.C.Fの文豪 市岡

 4月4日、朝7時前に目をさます。夜ほど風は強くはないが雨が降っている。
 ここは能登川尻、無人の駅である。パンを食べ列車待ちの人達に見送られながら出発し、まず、昨夕キャンプ場に置き忘れてきたボトルを取ってくる。
 雨がやんで宇出津駅に着き二人して体重を軽くする。折からの統一選挙中、選挙カーが手を振ってくれた。全然関係がないのにと思いながらR249を快調?に走り、私達はいつの間にか山の中へ・・・・ あれ?確か今日はずっと海沿いのコースのはず・・・・ あれぇ?・・・・ そ−なんです。道を間違えてしまったのです。しかし今更戻る気もしないので、涙をのんでそのまま曽山峠を越えることにする。強い風の中、長いだらだら坂を登り、やっと穴水に着いた。駅の近くでパンを買う。摺出寺君は普通のを買ったが、私は古い安売パンを買う。その製造年月日に驚きながら (中には3月26日の物があった) かなり休んでまた出発。向かい風と戦い、少し寄り道をしながら目的の笠志保駅に着く。中に入るとなんと無人駅。相棒は飛び上がって喜ぶ。列車の合間をぬって飯を炊く。ヒジョーにうまい。その後私は缶入り甘酒を買う。この甘酒、ショウガの味がピリッときいて非常にまずく、一、二度舐めて捨ててしまった。(100円損した) 世間話をしながら22:01の最終列車をやり過ごし寝る。まだ一人もサイクリストに会わない。

 4月5日、心配していたベンチからの落下もなく、朝の一番列車で起こされる。
 見ると、おばさんがリヤカーに魚等を積んでいる。行商の話を少し聞いたあと、私達は飯を食べ最終日の行動を開始する。能登島大橋に着くとなんとそこにはH・D (ヘビー・デューティー) なサイクリストがいたが、挨拶はライトに別れてしまう。今回のツーリングで始めて出会ったサイクリストだ。能登島に上陸し、しばらくして左折する。アップダウンをこなし、田尻を箱名名入江まで来る。入江が見えなってすぐに臨海公園へと左折。公園でジュースを買い、その後Uターンする。意外とだやい。大橋に戻って能登島は案外大きいとつくづく思った。
 近くの店でうどんを食べ、あとは帰るだけだと出発。七尾を過ぎ山に入る。下りでもう一人サイクリストに会う。私と良く似た装備だった。
 R160を南下し高岡に着く。
 私の愛する高岡は三日前と少しも変わらずそこにありました。

 THE END




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