飛騨街道

 富山から飛騨に向かう道は幾通りかあったが、大久保を通る道が本ルートらしい。
 ん〜なんで、起点の富山市西町の大和(=百貨店…懐かしい響きやね!)からエッチラと岐阜県境を目指しますた。

 走行日  2004年07月24日  日本で一番暑かった日
 コース   自宅−富山城址−大和−街道をトレースして猪谷−越中西街道経由(旧R360)で県境
 車種    街道はやっぱランドナーやね!(ユーラシア)

 

 富山城址前で写真を撮るが、改装中なのね。(地図)
      
 街道の起点は西町大和横の路地から始まる。(地図)
 
 大和横からの路地は太田口通りといい、奥に飛騨街道の起点の碑がある。街道の幅は約6尺あった。が、南下するにしたがい道幅は狭くなり、笹津を過ぎる頃には3尺を切っていたという。その為、笹津までの荷役は馬が使われ、それ以降は牛を使ったという。画像を横切る道路は旧北陸街道で、富山藩ができてからは加賀藩はこの道を通らなくなった。
 

 チョイ進むとマンホールがある。この下には足洗川が流れていて、この川を境に城下町と分かれていた。
 

 太田口通りにある飛騨街道の起点。 (地図)
 高山まで約21里(62.5km)とある。

 しばし、r43県道富山上滝立山線沿いに走る。
 小泉交差点角の銀行は、以前は八百屋で、冬には飛騨から運ばれた熊肉を売っていたという。
 

 堀川小泉の電停手前で右折し、r317下掛尾堀川小泉線に入る。 (地図)

 掛尾にてR41に合流する。 (地図)
   
 しばし国道を走る。高架橋は北陸高速道です。
 

 蜷川(にながわ)でR41から斜め前に伸びる道(r318県道笹津安養寺線)に入る。 (地図)
 

 街道は熊野川右岸沿いを進み、画像の橋付近に在ったという筏橋を渡り、左岸に移ったという。 (地図)
 

 熊野川を筏橋で渡った付近に在ったという道標&祠・石碑です。道標・石碑とも字が薄れて判読できない。画像クリックで説明板です。 (地図)
 

 ←から左岸沿いの道が無いので、右岸のr318県道笹津安養寺線で笹津に向かう。熊野川を渡ると大沢野町に入る。画像は大久保小学校辺りだったかな…汗 (地図)
 

 大久保用水です。 (地図) 1800年頃、加賀藩や近くの村から開拓民を呼び、痩せた土地に用水を引き開墾したという。しかし、この開拓政策で土地を奪われた村民が歴史に残る大百姓一揆を起こしたという。
 

 街道はR41を斜めに横切り、笹津に向かう。 (地図)
 画像クリックで振り返っての画像です。

 笹津の町を過ぎると、笹津橋に行き着く。(地図)
 川を渡らずに進むと、そのまま加賀藩領経由で猪谷の関所を越えなければならなくなる。猪谷関所@加賀藩は厳しいので人気?がなかったとか…
 画像の橋は笹津橋4代目で、左のはR41の現役である。昔は船で渡っていたという。
   
 神通川第二ダムと楡原をやり過ごし、庵谷から小菅峠を見上げる。(地図)
 

 庵谷の集落を抜けると、道標がある。
 「みぎハやま道」「ひだりハたか山道」と刻んである。
 (地図)
  

 小菅峠に向かう旧飛騨街道道です。どないしょうか迷うが、岐阜の某氏も断念してるし、あっさりとあきらめる。
 (地図、多分w。)
 なお、この道は個人の方が管理されていたんじゃなかったかな?10年以上前の新聞に載っていたような記憶があるぞい…
 
   
 庵谷峠上がり途中に、片地峡を望める。この右岸が飛騨街道東道…現在、道路陥没で通行不可状態。
 

 庵谷峠です。奥の階段は展望台への道です。 (地図)
 明治に入ってから作られた峠で、今回のルートからは外れている。ん〜なんで、律儀に小菅峠までピストンしてきますた。なんて真面目なんだろ。w

 猪谷関所館を見学する。 (地図)
 見学というより、涼んできますた…
   
 本当は、関所はここに在った。(地図)
 

 蟹寺峠を経由し、旧R360で県境を目指す。(地図)
 

 いやー、変わったのぉ〜。(地図) 道の細さは合いも変わらずだけど…
 
   
 ヘロヘロ状態で県境に着。(地図)
 



 暑かった……
 帰路はトンネル越えを多用し、省エネ走行に努めたが、
走行距離は約140kmであった。
 この日は、富山市が暑さ日本一を記録したとか……
 暑かったわけだ……


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