第10号 さまざまな出会 北海道ツアーを振り返って

 

さまざまな出会 北海道ツアーを振り返って

1984年7月31日〜8月16日
参加者&紀行文  エプロンちゃりんこU号 
宇川
PARAT 1  知床 08月05日〜07日

 今回のツアーの最も行きたかった所の一つ、知床のウトロに着いた。斜里からウトロへ向かう途中R334で、ギラギラ輝くオホーツク海には感動の一言だった。最も走りたかった所へ着いた反面、知床は言わずと知れたオヤジ宝庫。ハッキリ言わなくても恐かった。
 翌6日、道工大CCの4人と知床峠に向かう。仲間が出来たので気は楽になり、皆で国道から外れた川でギャーギャーやったり、熊のウ○コにビビッたりしながら1時間40分かけて738mの知床峠に着いた。峠からの展望は、デンと構えた羅臼岳、根室海峡を挟んで国後島の全景が見え、また感動してしまった。この後、道工大のメンバーと別れ一人で再びウトロ側へ下り、色々と心境の変化+αがあり知床五湖まで行けず岩尾別まで行き、戻ってきた。その帰り道、知床セイリングツアーの御一行様と出会い、一緒に“男の涙”まで行った。観光bookに出ていないここもスゴかった。皆にオニギリを分けて貰ったりして17:30頃、斜里バスターミナルで打ち上げをやり、その後みんなでYHに戻る。オホーツクに沈んでいく夕日が物凄く綺麗だった。夜はユーカラ大学へ3人で遊びに行き熊の話、流氷の話などを聞かせて貰ったりした。
 7日はサロマ湖迄の予定だったがオシンコシンの滝で2日前まで一緒に走った3人と偶然再会。3人は斜里YHのバスツアーで知床に来たそうだ。結局、軟弱して7日は斜里YHまで。途中、じゃがいも亭に行き大妻CCの嶋田さん、高松高専CCの宮本さんと出会い、3人で漫才をして時間を潰した。
 知床はもう一度訪れたい。YHの前で見た夕日は忘れようにも忘れられない。
 
1984年07月31日〜08月16日
全行程 1,196.4km
  は輪行    は実走
 
07月31日  高岡=函館
08月01日  函館=様似−襟裳
02日  襟裳−広尾−帯広
03日  帯広−池田−釧路
04日  釧路−弟子屈−川湯
05日  川湯−斜里−ウトロ
06日  ウトロ−知床峠ピストン、男の涙
07日  ウトロ−じゃがいも亭−斜里
08日  斜里−網走−紋別
09日  紋別−枝幸−浜頓別
10日  浜頓別−宗谷−稚内
11日  稚内=札幌
12日  札幌=様似−
13日  百人浜−岬町−襟裳
14日  襟裳岬−曹似湖ツアー
15日  襟裳岬−苫小牧=函館
16日  青森=高岡


PARAT 2
  いい加減にせえR238

 7日夕方、3人と無事YHに合流。話がハズみ、その内の1人千葉の京谷君と明日からまた一緒に走る。コースはひたすら北上するのみ。その後の3日間は最悪の日であった。
 8日は向かい風+160kmで紋別まで。
 9日は向かい風+霧雨+120kmで浜頓別まで。
 そして10日、もう超最悪の日である。向かい風の疲れで2人共走る気ナシ。それでも仕方なく重い腰を上げる。ところが昨日の風なんか比べものにならない程の超ウルトラ向かい風で、1時間の先頭交代も保たず30分にする。それでも13:25には北緯45°31’の日本最北端、宗谷岬に着いた。ここまでひたすら長かった。2人共半分死んでいた。岬には沢山のサイクリストがいた。皆、ここまでの過程を思い出すかの様にボォーとしているのが印象的だった。
 3時間じっくり休み、稚内へ。ところが岬を廻ると追い風になるはずなのに、また向かい風である。それも超ウルトラ向かい風、そしてパンクで情けないやらアホらしいやらで、もう何もする気はなかった。その後、稚内空港手前でもパンク。もう何も言わずパンクを直し18:00ようやく稚内に着いた。今日は駅泊。ここにも沢山のサイクリスト&ライダーがいた。京谷君には本当にお世話になった。R238をソロで走っていたらお得意の挫折が出ていたかもしれない。2回もパンクしたのに文句一つ言わないで待っていてくれ、もう感謝x2であった。
 その夜は阪大CCの丈橋さん、足立さん、専修大の板倉さん等、計10人で大宴会となった。この時の格好は頭ボサボサ、ヒゲだらけと今考えると恐ろしい。もはや社会復帰不能・・・・


PARAT 3
  襟裳岬YH

 8月15日、襟裳を離れる日。そして北海道を離れる日がやって来た。YHの屋根の上では、たっちゃん(GPzで日本一周)、大山さん(VTで北海道2回目)、まさるさん(大山さんとペア)、木村さん(セブンイレブン)、他沢山のホステラーが、、、下では、寛美さん(吉禅寺のワンダラー)、晴海さん、博子さん(3大キ○○イYH全部回った人達)が手&旗を振ってくれた。襟裳では、かあさんに大変お世話になり、また北海道の強烈な思い出を作ってくれた。
 8月1日に襟裳を出てから8月13日に再び帰って来た時、ヘルパーのみんなが覚えててくれた。14日は先程の仲間+6人で豊似湖ツアーへ行って来たのも最高に面白かった。その夜のミーティングはツアーへ行った殆どが北海道最後の夜ともあって燃えに燃え、全員汗ダラダラ息ハァーハァー声は出なくなるという凄さだった。夕方にはYHの屋根からキタキツネも見えたそうである。これ以上楽しいYHはあるかなと思った。


PARAT 4
  ツアーを終えて

 8月16日、超満員の白鳥2号で高岡に着いた。
 肩から輪行袋、Fバッグ、片手にサイドバッグを持ってヒョイx2歩く自分の姿を「驚いたものだ!」と金沢大学CCのある人が言ったが、全くその通りであった。17日間は過ぎ、考えればこのランも実に辛かった。
 当初の計画もかなり狂って予定ではソロだったのに、ソロで走ったのは3日しかなかった。R238の超ウルトラ向かい風+パンク、熊にビビリながら走った知床、所持金20円の夜、2万円紛失事件、コーラ1本の夕食、膝と足首を痛めた事・・・etc。しかし、それ以上に嬉しく楽しい事も沢山あった。
 17日間、完全に社会から取り残されどんな事件があったかなど知るはずも無かったし、知る必要も無かったし、知りたくもなかった。おまけに字は書けなくなるし、今日は何日の何曜日なのかも解らなくなる。むしろそれが快感になってくるから恐ろしい。
 とにかく、夏の北海道は旅する人で一杯だ。内地(本州)では、サイクリストはライダーに反感する感じがあるが、北海道ではどういう旅の仕方をしようが勝手きまま(悪い意味ではない)である。そして、みんなすぐ仲良しになれる。ライダーさんは95%、サイクリストは100%、そして車からも皆ピースサインを送ってくれる。これも嬉かった。
 内地と北海道の違いは?と言われると、まず国道沿いの1km毎の看板。カラスがやたら多い事。そして直線路。(R38釧路手前、R238浜頓別手前、R235苫小牧手前、R269等・・・)

 最後に、北海道へ行ったらぜひYHを利用してもらいたい。そして、出来れば色んなツアー等に参加すれば良いと思う。ただ走るだけのツアーでは何も残らない。面白いYHは、もち、襟裳、斜里、桃岩荘、岩尾別・・・まだ沢山ある。特に、上記3大キ○○イYHに泊まれば最高の思い出ができるでしょう。

 北海道はヤッパリ、重装備のキャンピング車に、真っ黒けのヒゲ面が似合うように思う。 (U川)
 

 
画像が無い!
U川君。持ってるでしょ!  (^-^)

で、オラのを張っときます


日本最北端証明書
100円也

最北端の碑の上にて
罰当たりです

クッチャロ湖湖畔
浜頓別キャンプ場にて

日の出岬キャンプ場
カラスが多い

網走駅前
この後、ダッシュでコインランドリー
北海道

大学時代、81年と82年の夏季合宿で行ってきました
どうせ行くなら、2週間以上の日程が欲しいですね
ここではYHの利用を進めていますが
オラの考えはチョイと違う

宿はテント!(ステーション泊も有)
YHは洗濯と風呂に入りたい時だけ使う
金が無かっただけかもしれないが、、、




前ページ     次ページ





[PR]動画