第2号 御母衣ダム往復200km
記録シート 3 1980年4月30日(水) 地図=石動、城端、八尾、下梨、白川村、白山 (1/5万) |
<所感> A.M4:45。外はまだ暗い。宅美・津幡・大井・鉢呂・野村の5人は、御母衣ダムへ向かうべく、野村家を出発した。春とはいえ明け方はものすごい寒さで、辺りは霧に閉ざされ視界は10〜20mがやっと。走っているとウインドブレイカーや自転車に霧がついて、やがて水滴となってポタポタおちる。 そんな状態で30分ほど走り、毘沙門杉近くで僕の自転車の後輪のフリーの反対側のスポークが1本折れた。スペアはあるがニップル回しがない。そこで野村が小型モンキーをとりだして代用し、なんとか直した。 また走り出して、約10分過ぎると太陽が昇り出した。辺りの霧は一気に消し飛び、すばらしい青空と庄川峡が視界に飛び込んでくる。5人とも「いいねぇー。」「そうやねぇー。」を連発。 6:10に小牧を出て、1台も自動車の走っていない朝のR156をゆっくり話をしながら走り7:00頃、皆葎農協に着く。五箇山を走る時の休息所としては常連のこの農協で5人は約30分休息兼朝食をとる。 8:30、合掌大橋に着き休息。9:15、白川村を出て、写真を撮ったりしながら11:05御母衣ダムに着く。野村君よりダムを造ると時の苦労話を聞いたあと昼食。津幡君は弁当を持参せず、他人の弁当をアサリまくり、4人の怒りをかった。(教訓、他人の弁当をあてにするな!」 12:20、ダムを出て高岡へ向かう。ダムの休息所の近くにある標識が高岡まで100kmであることをしるしていた。 途中の下りで鉢呂君が、道へ飛び出してきたネェーチャンに自転車ごと突っ込むといった事故がおきた。相手はたいしたこと無さそうだったが、鉢呂君のロードは無惨。ヘッドとフォークが少しまがってしまった。しかし、走行にはひどい影響はなさそうだったので、詫びを入れて、また走り出す。 15:35に小牧ダムに着き、約30分休息後、高岡を目指す。 17:35、高岡にたどり着き、12時間20分を費やした御母衣ダムファーストランは終わった。 5人とも「割と楽だった。」と語っていたことを付け加えておこう。 (宅美) 御母衣ダム堰堤より |
全所要時間 12時間20分 皆葎農協前 合掌大橋 |