第4号 アルペンルート試走記
1980.9..17 これは56年度の全国ラリーが富山県で開催されるあたり、そのコースの候補として県の観光資源のメインである立山アルペンルートが上がった事から話が始まる。初め、県サイクリング協会とアルペンルートを管理する県との間で協議が持たれた結果、本ルートが観光バス専用道路であるため対バスの安全性、高地走行によるライダーの体調異常の発生及びダウンヒルにおけるブレーキゴムの摩耗など自転車の機能上の安全性をチェックするため試走が計画された。 ところが、この計画が報道された時点で思わぬ反響が起こった。ひとつは所轄警察署の安全性に対する過度の縣念。もうひとつは自然保護団体のヒステリックなまでの環境アレルギーであった。 (自転車を許せば後に自動車まで認可されるかも、と言う懸念があったらしい。by ばった) しかし、協会関係者の努力により今日9月17日弥陀ヶ原、室堂間8.1km往復の試走が実現した。 テストライダーは県下の各クラブから女性一人を含む27名が選択された。TCFからは二塚、宇田A、そして私の3名が参加した。集合は極楽坂スキー場、午前8時。レーサースタイルやらニッカスタイル、それぞれ思い思いのウエアーを着て立山連峰上空のガスを気にしている。というのは、視界が100m以下の場合は中止という条件が提示されているからだ。自転車はトラックにペダルをはずした状態で一台一台毛布に包んで載せられていく。我々ライダー、誘導員、そして協会関係者、総勢約60名は協会がチャーターしたバスに乗り試走出発地点の弥陀ヶ原へ向かう。バスガイド嬢の案内に頭を右や左に回しながら10時に弥陀ヶ原駐車場に降りる。標高1,980m。下界ではまだ残暑というのにもう紅葉が始まっている。 誘導員はバスでさらに19カ所の立証地へ向かう。この内5カ所では本番にそなえ無線の送受信テストも行われる。ライダーは自転車の再点検、調整をして準備体操に余念がない。 空気が薄いなと感じる。スタート地点の300mの登りを走っただけで息が辛い。深呼吸をして、気圧に慣れるようつとめ出発を待つ。そうこうしてる間、報道関係者のマイクが突き出される。 「山岳地帯を自転車で走ることについてどう思いますか?」 「自転車のアルペンルート乗り入れは自然破壊だと言う人がいますが、あなたは、、、」 走行は5人1組となって走る。22インチのホイールを36x23で回す。ペダリングは快調である。紅葉の始まった弥陀ヶ原高原を12km/hのスピードで27名は心地よい高原の風を額に受け登っていく。コースのほぼ中間にあたる天狗平で小休止を取り、長くなった隊列を整える。 11時30分 標高2,500mの室堂に到着。弥陀ヶ原からの標高差500m、距離8km、平均勾配6.3%である。ただ一人の女性ライダーも無事に完走した。 下りは防寒のためウインドブレーカーを着込み、20km/hのゆっくりとしたスピードで降りる。おかげで高原の景観をゆっくり堪能することが出来た。 若杉
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当時の新聞です 弥陀ヶ原 弥陀ヶ原 |
このアルペンルート試走に私こと ばったも誘われたのでした。が、当時高校3年生。 休日なのに○○社のテスト 自転車ばかり乗っていて勉強なんか全然してない。いまさら模試を受けてもねー。 テスト中、頭は標高2,000m辺りをさまよっていました。 自転車で走れない所を走れるって魅力的です。 過去に、朝日インター〜親不知インター (北陸高速道) 砺波ジャンクション〜福光インター (東海北陸道) 福光インター〜五箇山インター (東海北陸道) それと今回の輪跡のアルペンルート 県内ではこんなもんじゃなかったかな。 あっ、もう一つ。 富山競輪所。ランドナーで走ってしまいました。 バンクでこけたけど、、、 私は、アルペンルートは模試で × 福光インター〜五箇山インターは娘の学芸会で × でした。 あぁ、悲しい、、、 |