第6号 天生峠
1981年8月14日 晴れ 天生峠 ファーストラン 塚原 |
今日、8月14日は天生峠へのRUNの日である。3時半に出発の予定がツアーメーターの取り付けや記録用紙などを用意しているうちに時間が過ぎ、結局4時に野村氏、大井氏と私は出発する。 このRUNに参加する私はかなり不安なのです。現在、野村氏は自動車漬けでも高校時代は自転車競技選手。大井氏は、現役の選手であるからです。 暗い中をバッテリーライトの光を頼りに小牧へ。1時間16分というロードとしては遅いペースで着き、休息をとるが、大井氏は早くもオニギリを口にほおばっていたのでした。 下梨へはR156を離れて下の道(ショートカットコース。庄川の左岸を走る。通行止めが多いが自転車なら何とかなる。)を走るが、分岐点辺りで変な虫が身体の周りを飛び交い大変いじくらしい。 最初に逃げ出したのは大井氏でしたが、橋を渡るとあいにくの土砂崩れで、振りきった虫にまたも追いつかれまとわりつかれる。土砂崩れを担いで乗り越え、虫と鬼ごっこしながら必死に逃げる。 皆葎で朝食をとり、白川村に行く途中で今日は8月14日であることに気付き、あの虫はかの有名な「オロロ」 ではと思い、天生峠の登りが不安になるのでした。 途中、本が落ちているので拾ってみるとPLAY BOY。大井氏はそれを見ながら走り、白川村に着いたところで皆で鑑賞し、峠にそなえ鋭気を整え出発したのでした。 R156とR360の分岐点で峠への道を聞くと、土砂崩れで通れないが自転車なら行けるかもしれないとのこと。分岐点にも通行止めの表示があり、どうするかと協議するが、行くこととなる。 |
お粗末なログなので、 km、km/hは省略 全走行距離178kmらしい ソーヨー#70に ツアーメータは26インチ使用にて |
途中、写真を撮りながら登るのですが非常にダヤク 「 17才は年じゃ!」 と言うと野村氏が
「 18才はどうなるが?」 と突っ込む。 うまくごまかし順調に登ると、キャンピング車を押しているサイクリストがいた。挨拶を交わし、抜き去りながら思った。通行止めの所を登る物好きがここにもいる、、、。 途中、下りのサイクリストに道路状態を聞く。300m程度にわたって土砂崩れで、担いでならなんとか通れるとのこと。 さらに登り、天生橋で休息をとる。そこから、道は良くないがほとんど平坦で、高原といった感じになります。 峠まではもうすぐということで自然にペースが上がり、なぜか野村氏がボヤクが、ついに天生峠に着いたのでした。 峠にはお地蔵様は無いようで、竣工碑の前で写真を撮り、すこし降りた所で宴会となった。例によって、焼き鳥、江戸ッチョ煮、、、etc。 宴会の後かたづけにかかろうとした時、ようやくキャンピング車の兄さんが峠に到着。すこし話をして、先に下って行かれた。そして下りに入ろうとするとロードのサイクリストが登ってきて、「 これより先は余り乗って下れる所は無い。」 と言うので、我々3人はビビッてしまったが、立派に下って行くことが出来た。 土砂崩れの所に来ると、キャンピング車の兄さんがいたので、彼のバッグも運んであげた。 下り終わった所で、私のタイヤがパンク。スペアに変え走る。R360では、「 この道で、ほんまにいいがか?」 「 ネムタイ、、」 などと言いながら走り、ついには、打保ダムでオネムの時間をとる。が、雨が降り出しそうなので早々に退散し、無事R41 NI合流し、ついに18時35分、高岡の野村氏邸に着いたのであります。 このRUNで3人共、ホイールが振れ、野村氏が言った 「 今日、ロード壊しに行ったようなもんや 」 が、ピッタリでした。 後日、二塚サイクルで話をすると、やっぱりあの虫はオロロだということでした。しかし、3人共刺されなかったのはどうしてでしょうか? 虫のいい陰の声 ・・・ 虫ずが走る男ぶり。 虫が好かぬと無視される。 良い男には虫が付く。 |
天生峠は、ばったも越えてます。 ( 白川村側から ) 1979年8月16日。
白川村まで車で送ってもらい、天生峠→保峠→湯峰峠→古川→高山のコースです。
自転車は弟のユーラシアのランドナー。ガードが分割式なので無理矢理借りた。
それと、タイヤが細いという理由もあった。
私の愛車は650B、ソーヨー・ロードフライヤー ( パターンはブロックタイプ
)
峠の印象は、?でした。別に展望も良くはないし、舗装路だし、
まあ、地図上の峠を一つ塗りつぶしたくらいしか印象がない。
ただ、次のカーブを抜けたら峠だぁ、を延々と繰り返したのが記憶にある。
峠までは、ボトルの水を飲むため足を付いただけで、峠までは1時間弱だったと思う。
今じゃ、絶対無理。
カメラは持っていったんだけど、悲しいかな撮してない。
保峠、湯峰峠も、、、あぁ、悲し!