第6号 A級への道? ブナオ峠ソロツーリング
1981年9月20日 ブナオ峠ソロツーリング 本題に入る前に、そもそもこの峠に行くハメ?になったのは、二塚サイクルのオッさんと宅美氏に、「 ブナオ峠に行ってこんなん、TCFでA級になれんぞ 」 と 訳の分からん事を言われ、そそのかされたからだ。 この日、午前7時02分。小生 (キザに宅美風 ) は、愛車ダイヤモンドとともに我家を出発した。途中、砺波市役所で小休止をとり、刀利ダムに着いたのは9時3分だ。オニギリを一つ食べて目的地のブナオ峠へと向かった。 噂の滝谷隧道を抜け、中河内までは快調に飛ばした。中河内区内の左に巻いたヘアピンからは、山中でも人と触れ合えるラジオを聞きながら、押して進む。少し押した後、乗り易い地道がしばらく続く。 長瀞峡を通り過ぎた所で、段差のある水たまりに入ったとたんに、Fバッグのマップケースの間にはさんでおいたラジオが、ポト〜ンと水たまりに落ちてしまった。ラジオが使用不可能になってしまい、頼りにしていたラジオと小生との糸がプツリと切れてしまった。その途端、脳裏に ‘ 不安 ’ の二文字がよぎった。 それからは、気が遠くなるような距離を押しまくった。ところが、いつまで押しても不動滝らしきものが見えてこないので、なお一層不安が高まる高まるのであった。そんな所へ、カブに乗ったオジサンが下って来た。すかさず、不動滝まであとどれ位か?と聞くと、もうすぐだと言う。 気を取り直し、又押し始める。すると今度は、工事現場のプレハブの前にオジサンが居たので、念の為この人にも聞いてみると、自転車なら5分位だとの事だ。 30分位押したが、不動滝は確かめる事は出来ず、そのうちに舗装路に出た。そこから500m位で峠に着いた。 峠で昼食を取っていると家族連れの軽四が上ってきた。少し会話を交わした後、家族連れはにぎやかな昼食が始まった。 ソロの昼メシは味気なく、小生でさえも食欲がわかない。 西赤尾へのダウンヒルで恒例のパンク。慣れた手つきでチューブを交換する。西赤尾のR156合流点で、卒塔婆峠へ行った鉢呂、宅美両氏が小生を一時間前より待ち受けていてくれた。R156に出た嬉しさと、両氏に出合った嬉しさで、今までの不安と心細さから解放された。 そして、今日から小生もA級に昇進?が正式に認められるということが、より一層喜びに輪をかけたのであった。 END 松木 |
刀利ダム 滝谷隧道の情報を聞いているのか、 どでかいバッテリーライトが付いている 長瀞峡 看板が落ちている |
ブナオ峠 だんだん整備されて行く、、、 |
ブナオ峠 メシを食っているらしい。 ソロは寂しいのー |
ブナオ峠は、1980年頃から急に整備され始めました
以前は、刀利ダムから地道だったのに
1980年には中河内区内まで舗装が進み、峠手前500m程舗装路に、、、
大学卒業後に行ったとき ( 1987年頃 ) は、いつの間にか上平村側が全線舗装路
1992年頃だと思うが、無線の移動運用でブナオ峠に行った時は
目が点状態。全線舗装路だった
県道に認定されたのが昭和48年(1973年)らしいです
約20年で舗装になったちゅうわけやね、、、
舗装化されてからは、通行止めが多くなった
良いのやら、悪いやら
by ばった