第6号 新小瀬峠から袴腰山山頂へ
1981年10月11日 ( 日 ) 曇りのち晴 TCFクラブラン |
福野駅で待ち合わせた荒木氏と合流の後、遙か前方正面に独特な 「 袴の腰板 」 の形をした山形を振り仰ぎ、今日のクラブランのファイトを奮い起こしながら進む。 松木君に 「 今日はガンバルゾ!」 と声をかける。 細尾峠への道は、秋の行楽シーズンの最中で、マイカーが多い。それを後目に、我々は昭和52年に開通した袴腰林道へと右折する。 地道となりみんな泣いて喜んでいる。( 舗装路は乗って当たり前。砂利道では押しても許されるから? ) 前回の54年度よりも土が固まっていて走りやすい。紅葉は、いまいちだが、散居村が一望でき押していくのも苦にならない。 4月以来のクラブランの平林氏は、相変わらず早く、始めのコーナーを曲がった所から全然姿が見えない。新人の菅原君は、こんな地道は初めてで、やはり遅れる。松木君が本当かどうかは解らないが、彼につき合うと言って二人で仲良く最後尾。最年少の福沢君は、オールランダーバーながら経験豊富で、まあまあのペース。 そうこうしてるうちに見慣れた新小瀬峠に着く。峠には目障りな車が数台。 1時間余りの昼食で英気を養い、自転車を峠に置き今回の目的地である袴腰山山頂へ。 登山道の標識を目印にアタックを開始する。ものの2、3分でH氏、M君、S君の3名がリタイヤ。 ( 輪跡では匿名にはしないのだが今回は3名の名誉のために、特に名を伏す。) 残りの有志の私こと二塚、宅美、荒木、福沢の4名は ( 名を伏せても、ばればれじゃん! ) 泥道に足を滑らせながらも尾根伝いにゴーイング。途中、無人の袴腰小屋にて小休止。備え付けの登山者名簿に記入する。一週間前に来た前田、塚原両君の書いた日誌を読む。一人前に、一週間後のクラブラン ( 今回の事ネ ) の下見に来たと記してある。 小屋からはヤブとなり一段と急勾配になり見晴らしも悪くなる。山ブドウを見つけ、口に入れるが、粒が小さく種が大きくて酸っぱい。 時折、木々の間から西方に医王山、その向こうにには、金沢の街並み、日本海が、そして東方には白木峰のアンテナが確認出来る。そして、その後方には槍ヶ岳も望める。 約40分後、道がやや下りなった所で我々は、ここが山頂だ!と早合点して、( 木に登り辺りを確認したのだが、、) 数分後には帰路に着く。 標高1,000m位まで下りた所で、測量に来たという年配の夫婦連れに出合い、山頂はそこから ( 我々が山頂だと思っていた所 ) 約30m進んだ所に展望台があると聞かされる。 我々は、ガックリ。今更引き返す気力も無く、次の機会に目指す事にする。余りにも残念だったので、峠に残った3人には山頂まで行った事にして話を合わせて内緒にする。 峠に戻ると遅れて到着した内島ファミリー3人が昼食であった。中一、中二の兄弟とは何回も同行しているが、健脚には父親の内島氏も私も、もう負けそう。 ゴミを燃やし、缶詰のカンを1人3ヶ負担でFバックに納め、菅沼の合掌集落を目指し一気にダウンヒルとなる。 終わり ニホンカモシカと袴腰山 ここ2,3年、袴腰山一帯でニホンカモシカが林業者らハンターの前にしばしば姿を現している。「 幻の獣 」 として、めったに人目に付くことがなかったカモシカ。 隣の岐阜、長野、離れて岩手、青森県などで 「 造林地のヒノキや穀類を食い荒らす。」 と食害問題が発生した事もあります。 カモシカは個別な縄張りを持ち、交尾期や成育期 ( 1年 ) 以外には群れる習性のないカモシカにとって絶対数の増加は生息地の拡大につながる。そして新たな生活の場を求めて次第に麓に下りてくる。同町瀬戸、上田地区や林道温泉付近など標高300m前後にまで姿を見せてます。 昭和30年、国の特別天然記念物指定。 推定、75,000頭生息。 |
記録 二塚
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