第8号 御鷹山林道越え、小井波の水芭蕉を訪ねて
1983年5月3日 その日は、朝日が輝き空は澄み渡り、春の心地よい風によって草木もなびく朝から始まった。私は集合場所である小杉駅へと銀輪を走らせたのであった。 私は10分ばかり遅れて駅に着いた。( マタカ !! ) 市岡、摺出寺の両君はすでに集まっていた。ここで私はボトルとシュラカップを忘れたことに気づく。( マタカ !! ) これらは両君に貸して貰うことにして、八尾駅に向かう。途中、缶詰とエネルギーを補給し ( 私達は未成年の為、アイスクリーム ) 八尾駅へ。小休止の後、楡原へ向かう。途中、誰が先頭を走るかで三人でスタンディングした事を除けば、これといった事もなく楡原駅に到着。はるか頭上を走る御鷹山林道を見て肝を潰してしまう。 駅で写真を撮った後、林道を上がり始める。通行止めの鎖と看板が現れるが、またぎ越して進む。予想以上の急勾配と砂利の深さの為、ためらわず4km/hの世界に。 この日は黄金週間のため山菜採りの車が多く、空気も道も乾燥していて埃っぽい。車は我々の後からもやって来る。鎖をはずして来るのであろう。我々は乗ったり押したりを繰り返し、ゆっくりではあるが確実に高度を上げて行く。この道を押さずに上りきる奴は超人だと思う。 途中、水を補給し顔を洗う。新しい方の道に入ってからは、勾配が前にも増して急になり道も悪くなる。こぶし位の石も見えてくる。峠が近くなり道がまわり込んでいる所は芝生が植え込んであり、家族連れがお弁当を広げているのが目に付く。それを横目で見つつ、汗を流して峠を目指す。 我々は峠の手前で自転車に乗り、力を振り絞って 11:50 頃に峠に立ったのであった。峠からは今来た道が下の方まで見え、楡原の町も見える。遠くには残雪の立山連峰が見える。 峠で昼食を取る。摺出寺君がフレバリーティーというジャスミンの香りの中国茶をくれる。本人も言っていたが、匂いが強く飲めた物ではなかった。尚、ここで摺出寺君が缶で手を切ってしまった。 少し高い所へ登ると、桐谷から小井波への道が見え、三人で小井波へ行くかを検討する。個々にゴミをバックに詰めて下り始める。私はもたもたしていて遅れるが、少し下った所で二人共止まっていてくれた。砂利が異様に深いという事だった。市岡君、私、摺出寺君の順に下り始める。コーナー毎に前後輪が別々に流れる。 もの凄い深砂利を過ぎた所で市岡君と止まって下りてくる摺出寺君を見ていると、前輪が深砂利に突っ込み、ロックし、コントロールを失い、車体がふらつき、前につんのめり、体が自転車から放り出され谷に落ちかかる。一瞬の静寂の後、「 転倒しちまった。グローブが草の色に染まった。ブレーキレバーが曲がっとる。ちょっと待ってくれ、チェーンが外れとる、、、」 などと摺出寺君はわめいていたが、体の方はなんともないようだ。 また下り始めると、私の体に異常な振動が伝わってきた。パンクである。修理道具を忘れてきたので( マタカ !! ) 摺出寺君が来るのを待つ。摺出寺君は |